なぜ女子大学が認められて男子大学は認められないのでしょうか?
戦前の日本で大学が少なく、当時は男性のみに許可された教育機関でした。
女性の大学進学は例外的にしか認められていなかったようです。
時代が変化するに伴い、女性の社会的地位が確立されて女性の教育機関が増えていきました。
女性専門の大学教育が増えたことにより現在の女子大へと発展していきました。
当時はほとんどの大学が男子大学であったのため男子大学と認められていない認識なのでしょうね。
この記事ではこんなことをまとめています。
・なぜ女子大学が認められて男子大学は認められないのか?
・女子大学は昔日本にあったのか?
・男子が多い大学上位5とは?
なぜ女子大学が認められて男子大学は認められないのか、男子が多い大学上位5を含めて順を追って説明しますね。
なぜ女子大学が認められて男子大学は認められないのか?
なぜ女子大学が認められて男子大学は認められないのでしょうか?
調べてみたところ、男子大学が認められていないのではなく、戦前の大学がほとんど男子大学だったため「男子大学」というカテゴリーを設ける必要がなかったのです。
第二次世界大戦までは男女別学が普通であり男子大学もあったのです。
当時は男子と女子では教育内容が違う考えがありました。
女子大学は女性向けの教育内容が多かったようですね。
時代の流れと共に女性の社会的地位向上が一般的になり「良妻賢母」と呼ばれるような女性専門の大学が増加したのです。
就職する企業が求めている女子の人材もかなり関わっているのでしょう。
企業が女子大学を評価することによって女子大学を認めていったのでしょうね。
企業で女性が能力を発揮するために女子大学は認められていつのでしょう。
男子大学は昔、日本にあったのか?
では、男子大学は昔、日本にあったのでしょうか?
調べてみたところ、戦前から男子大学がありました。
明治40年頃、大学は東京帝国大学・京都帝国大学・東北帝国大学の3つしかありませんでした。
戦前の日本では一部の例外を除いて女性は大学の入学を認めていませんでした。
「学問は男子のためのもの」と言う思想が強く、大学は男子大学なのです。
日本で初めて女性が大学に入学したのは大正2年の事でした。
東北帝国大学が独自の判断で受験を認めたのです。
その結果3人の女性が入学することになりました。
日本で初めて男女共学制度を実施した学校は明治時代の熊本洋学校と言われています。
熊本洋学校は熊本市にあった全寮制の学校でした。
その後、昭和22年に教育基本法が公布され、その第5条で「男女は、互に尊重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」とされました。
それから学校では教育上の男女共学が原則になりました。
男子が多い大学上位5は?
男子が多い大学上位5はどこなのでしょうか?
調べてみたところ、国公立大学の1位は京都大学で私立大学は慶應義塾大学でした。
国公立大学の2位は東北大学、3位は新潟大学、4位は東京大学、5位は北海道大学でした。
こうして見てみると、旧帝大の京都大学、東北大学、東京大学、北海道大学が上位を占めていますね。
歴史の古い大学に男子が多い傾向がありますね。
偏差値の高い大学が上位を占めていることもわかります。
では、私立大学の上位5をみてみましょう。
私立大学の2位は近畿大学、3位は帝京大学、4位は日本大学、5位は福岡大学でした。
ランキング上位の3大学は男子入学者の割合が7割になっています。
1位の慶應義塾大学は附属高校が4つあり、男子校が多いのもその理由でしょう。
慶應義塾大学は偏差値70以上の難関校です。
男子が多い大学は男女比が8:2か9:1くらいですね。
学部でいうと医学部の男性比率が女性比率を上回っています。
その理由は、理系全体で男子の割合が多いからです。
他にも理学部・工学部も男性比率が高いですね。
まとめ
なぜ女子大学が認められて男子大学は認められないのか、昔は日本にあったのか、男子が多い大学上位5について調べてみましたが、戦前の大学が男子大学だったため「男子大学」とカテゴリーを設けてなく、昔は日本にあり、国公立大学の1位は京都大学で私立大学の1位が慶應義塾大学であることが分かりましたね。
ポイントをまとめますね。
・男子大学は戦前からあり、ほとんどが男子大学であった。
・戦前は女子の大学進学は認められていなかった。
・国公立大学の1位は京都大学。
・私立大学の1位は慶應義塾大学。
なぜ男子大学は認められていないことが気になる方は、この記事を参考にしてみるのも良いでしょうね。
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